ともだちぶんし

のつくりかたが分かった気がします。SNSを利用しての。

自分を多用な性質を持った「分子」にたとえてみると、社会という混沌の中では、全体像は可視できない。分子自体が小さい、活動が不活発の分子、希少な分子などは同質の者と結合しにくい。

単体のままの分子=死

という状況をさけるため、インターネットという集合体を利用する。より明確な可視可能な集合体、より性質の近いものを求めSNSという名の「化合物」の中にさらに分離し精製された同類の「コミュニティ」で結合する。

なぜ同類同質は引き合うのかは、明理ということいいや。(投げやり

自分を分子そのものとして書きましたが、実際は一人の人間の中にたくさんの分子(人格、もしくは気質)があるのでしょう。

私はともだちを作れないわけじゃない。付き合いもしている。
満たされないわけじゃない。それは私がいろんな性質の分子を持っているからです。

でも私のある部分は、私の今の集合体の中では「変」「異質」との評価をうけて、結合ができないのです。

でも私の中のある分子が「ひとりはいやだ」と叫んでいる気がします。集合したい結合したい、発展したい。成長したい!!大きくなりたい影響をおよばしたい、そしてそれはしかるべき環境さえ整えばできるはずである。


新しく入ったコミュニティを見てほっとしたしだいです。
コミュニティに参加すれば同質同類がいたのか。
そこでは私は「変」じゃないんだ。と思う。

しかしその他の分子は、「仮想」を信用するなといっている。
インターネットでの結合は、所詮「仮想」結合だから。共有結合じゃないから。完全じゃないから。

上京の時の心境ってこうだったのかなって思います。

私は一度チャレンジし、失敗しました。東京という町で同質同類を。
求めたけれどもたどりつけず、傷つかないうちに保護のもとへ帰りました。
自分を守ったのです。

確かに私の求める同質なものは「生きのび難い」気がする。
生きるか死ぬかの決意でいかないと、集合体にすらたどりつけない。

      • ここにとどまれ。偽装しつづけろ。仮装しつづけろ。---
      • どうせ行っても同じだから。弱いから。無理だ---

これは利己的な遺伝子の言葉とも考えることができるようです。
そう、生きぬかなければ。
地に足をつけなければ。
私の多くの部分はそう悟っています。「女」である部分とも言えるでしょう。
女はみな、プロレタリアだから、原始とつながっているから。(これについては後日)

でもあることを思い出します。パソコンのバッテリー、リチウムイオン電池の発火です。正確かどうかは分かりませんが、不純物の混入が要因にあげられているようです。押さえられた「異質」が


バーーーーーッン!!!!!


と弾けとぶ可能性は、私にもあるのかも。